傳濱野 はんどばっぐとは
明治の頃より140有余年続けてきた、
「日本女性の美しさを引き立てる」バッグづくり。
皇室御用達としての歴史と伝統を大切にしつつ、
濱野家の新たな挑戦をお届けいたします。
「傳濱野はんどばっぐ」の当主・濱野有(はまの ゆう)の曽祖父である濱野傳吉(はまの でんきち)の頃から140有余年、濱野家に脈々と受け継がれる“はんどばっぐ道”。
明治時代、濱野傳吉による革工芸で培われたという細やかな技術から、大正時代にハンドバッグづくりに力を入れ始めるようになったと濱野有は語ります。
祖父の濱野初男(はまの はつお)から濱野有が伝え聞いたところによると、明治から大正へと移り変わったばかりのその頃、世の中は和装が中心でハンドバッグがまだ日本にほとんど無い時代だったといいます。
初男が『VOGUE』などのファッション雑誌を取り寄せて研究して作ったというバッグは、“モダンガール”ともてはやされるおしゃれに敏感な女性たちから、圧倒的支持を得たのだそうです。
時は流れて、昭和へ。
濱野有の父・濱野敬之(はまの けいし)はプロ選手になるほど乗馬が好きで、どんなことでも“とことん、本髄を極めなくては気がすまない”敬之のこだわりは、その後の濱野有のバッグ作りにも大きく影響を与えました。
明治にはじまる曽祖父からの親子4代にわたって受け継がれた“はんどばっぐ道”が今、この傳濱野はんどばっぐというブランドという形になりました。
無意識に息づく美意識
親から子へ。子から孫へ。
濱野家の長きにわたる血統はそのまま、バッグの伝統へ。
そこには、もはや技を越えた“無意識に息づく、美意識”があります。
「使う人の身になって、いい物をつくる。そのためには絶対妥協しない」
今も尚、一貫して流れるこの精神は現在の傳濱野はんどばっぐ当主、濱野有にも脈々と受け継がれています。
明治の頃、濱野有の曾祖父にあたる濱野初男から始まった、濱野家のバッグの歴史。明治、大正、昭和、そして平成という4つの時代を駆け抜ける流れの中で、その歴史に幕を下ろすべきか否か、思い悩む日々が訪れます。
2009年、濱野皮革工藝の資本が第三者に移り、濱野家当主の思う「わがままなバッグづくり」が続けられなくなるという事態が起こります。
それは、「使う人の身になって、いい物をつくる。そのためには絶対妥協しない」という、濱野家が代々大切に守り続けてきたはんどばっぐづくりへの想いと相反する、悲しいまでの現実でした。
同時期、当主からの言葉を受け、それまで長らく紹介を続けていたエルトゥークでも濱野皮革工藝商品に関しての取り扱いを中断することと相成りました。
時は移り2013年。
濱野本家の現当主である濱野有が濱野皮革工藝をはなれ、濱野皮革工藝とは全く関係のない自分の理想を追求した「傳濱野はんどばっぐ」を立ち上げます。
一度は失われかけた直系の伝統。今一度、後継者である自らが濱野家の伝統を伝えることができたなら・・・そんな想いで、現存する初男の手書きと伝わる“はんどばっぐ”の文字を冠したのが「傳濱野はんどばっぐ」でした。
「傳(でん)」の字は、濱野家のバッグづくりの祖である初代濱野当主の傳吉より名づけられました。また、「伝」の旧字であるこの「傳」は、「本家が本来作りたかったバッグを“伝”えていく」という意味も込められており、伝統と革新を兼ね備えた使いやすくモダンなバッグブランドとして、作品を発表していきます。
「はじめまして、ではなくって、ずいぶんお待たせしました。という気分ですね」と照れくさそうに、でも晴れやかに濱野有がその新たなブランド名を繰り返し口にしていたのが印象的でした。
濱野家現当主の父・濱野敬之はとことん源流までつきつめる、ということをモットーに、バッグ作りの本質を見極めようとしました。
そんな敬之が当時最も力を入れたのは、革のダイヤモンドと言われるクロコダイル革。「上質なクロコダイルの革は、自分たちで全て作りたい」と、革の源流をさかのぼり、オーストラリアへ出向きクロコダイルのファームを作るまでに至りました。
濱野家のそのクロコダイル革にかける想いから、ファームを離れた今でも、父・敬之の志を受け継ぐ濱野有がクロコを探していると聞けば、良質なクロコダイルがタンナーたちから集まるのだそうです。